新しい年が始まりました。とはいえ本当の事を言えば昨日の延長なのですが、どうも我々人間という生きものはどこかで一旦精神を再起動することで、日常に於ける平静を保とうとする癖があるようです。生物学的側面から見ると、私達が広く一般に心と呼んでいる脳のある範囲に加わる内外からの様々な刺激を一定周期毎に、或いはランダムにかように上手く躱していくという行動も、「忘れる」という機能同様高度に進化した人類という種の生き残り策だったのかも知れません。……などと新年早々、この頃頻度を増した私自身のもの忘れに言い訳をつけて、2014年最初の日々の草々が始まります。
それにつけても忘れてはいけない事が世の中には沢山あり過ぎて、日本で暮らす我々も新年のリセットでは済まされない大事なことは、遠い未来を見据えつつキチンとその心の中に刻んでおかないといけませんね。
昨年クリスマスに友人の女性写真家が若くして病に倒れ亡くなりました。私の初期の個展DMやギャラリーの催事DM等の写真を手掛けてくれたり、レンズを通した自分の世界観を持った才能豊かな人でしたが、運命とはいえ今回の訃報は悔やまれてなりません。以前から、この拙文に毎回一葉の写真を付けてもらいたいなぁと考えていた矢先の事でもあったのでなおさらでした。今となっては、残された御家族の幸せと、彼女のご冥福を祈るばかりです。奇しくもクリスマスが命日になってしまいましたが、いずれ同じ道を辿る身としては、少し羨ましくもあります。きっと神様のご配慮ですね。おつかれさまでした。
さて、先月のこのページでは白がテーマでしたが、今回も前回同様「白」を取り上げない訳にはいきません。いま私の工房へ向かう山道も里山も一面の雪化粧で白一色、山田も畑も丘も緩やかな曲面を描いて、本当に本当に大きな一枚の柔らかで極上の真白な布が真上からふわりと掛けられたように見えます。ほんのりと温かみさえ感じてしまうこの感覚は何だろう?と考えてみるに、天然だから……としか答えは出せません。それとも自分が雪の方に寄り添っているせいか?毎朝夕2回の工房の除雪作業で結構、雪に痛めつけられている割には、のんきなものです。少し陽が緩むと先程の野山の雪面には傾斜や勾配に合わせて美しいドレープが現れます。本当に布のようです。この白を汚したくないと一瞬思ってしまいます。白が白たる所以でしょうか。太古の昔から、人間に与えられた神様の記憶は、まだ私の心の中に残っているのかも知れません。
今年はどんなきものをつくろうか、この白い世界で私の頭の中を様々な色たちが巡っていくのが見えます。